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実施レッスン:ピアノ

講師名:清水 麻理子

教室名:清水まりこピアノ教室

教室住所:584 - 0086 大阪府 富田林市津々山台1-1 ガーデンシティコープ金剛東3棟405号室

自己紹介

富田林市でピアノ教室を開いております、清水麻理子です。

大阪芸術大学音楽教育学科を卒業後、音楽教室の講師を経て、現在、自宅にてレッスンをしております。
レッスン歴は25年になりました。

ピアノを森脇登美子氏、故 遠藤一枝氏、声楽を田中公道氏に師事。

音楽教室講師時代には、リーダー講師、グレードテストやコンクールの審査員などもしておりました。

また、コーラスの伴奏などもしております。


個人ピアノレッスンを中心に、ソルフェージュ、楽典(テスト対策)、コンクール、音大入試対策、幼稚園教諭・保育士資格など対応しております。

指導実績

コンクール
堺ピアノコンクール 奨励賞多数、記念演奏会(5年毎)3名
カワイ子どもコンクール 入賞多数
カワイ音楽コンクール 近畿大会出場

音大合格
大阪芸術大学、大阪音楽大学、大阪教育大学、お茶の水女子大学

プロフィール

福岡で生まれ、兄弟の姉として育つ
父は広告代理店
母は専業主婦
たくさんの愛情を注いでくれましたが、厳しい両親でした。

従姉妹にピアノの天才がいまして、彼女は10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。
これを見ておもちゃのピアノで真似して弾いていました。
両親はそんな様子を見て、3歳で近所のヤマハのグループレッスンへ入れてくれました。

〈ピアノの先生になりたい!〉
その後6人のピアノの先生に出会いましたが、どの先生も素晴らしく良くしてくださいました。
ピアノの先生になりたい!
そんな憧れができました。

〈大阪の子が怖い!〉
小5年生福岡から大阪へ
大阪府和泉市立光明台南小学校
訛りや言葉が通じなかったためにいじめられた。
大阪の子が怖かったです。
あとは仲間はずれにされたり、
色が白かったので外人と呼ばれたり。
それは結局中学卒業まで続きました。

〈リチャードクレーダーマン〉
リチャードクレーダーマンが流行っている頃でよくそれを聴いて弾いてもいました。
ピアノを弾くことが唯一の楽しみでした。
ただ練習をサボっていると
『(従姉妹の)お姉ちゃんは毎日8時間も練習しているだって』
私はいささかのんびりしたところがあって、そういわれたらどうやって8時間も時間を作れるのか?なんて計算してました。

〈コツコツ型〉
光明台中学校に入学して、勉強もコツコツ頑張り100人中10番以内。
コツコツとやるタイプでした。
ピアノの練習も細かく区切って確実に弾けるようにして行った。

〈褒め上手な先生〉
私の演奏が終わった後に
『すっごくよかったからまた聞かせてくれない?』

そんな事を言われたのは初めてだったので、すっごく嬉しかったです。
この頃から音大を目指そうと決意しました。

〈バラ色の高校生活〉
入った高校は自由な雰囲気で今までいじめられていた自分にとっては天国のようでした。
クラスは12クラスもありましたが、皆とても仲よかったです。
友人もたくさん出来、なによりも同じ学年で音大を希望する子が10人もいたのは心強かったです。

〈音楽仲間〉
音楽の紀ノ定先生がとても協力して下さって、その子たちと弾き合い会をしたり、お昼休みにソルフェージュの練習をしたりしました。
個人的に演奏会に連れて行ってくれたりもしました。
なんとこの先生、かつての小学校の音楽の先生だったんです!
すごいご縁を感じました。

〈大阪芸術大学音楽教育〉
練習の甲斐があって大阪芸術大学音楽教育に合格。
毎日音楽の勉強と同時に、他の芸術分野、美術や写真などの学生さんとも仲良くなれ楽しかったです。

高校の時についた森脇登美子先生、田中公道先生に大学でも師事。

〈カワイ音楽教室就職〉
卒業後カワイ音楽教室の講師になり、月間50人を教えるように。
同時に自宅でもピアノ教室を主宰。
生徒は20人に増える
講習やレッスンで忙しかったが充実した毎日で、そんななか、ハンドベルにハマりました。
その結果、講師コンサートに出演したり、新人講師の研修担当になりました。

〈経済的危機〉
28歳で退職、翌年結婚する。
子供も二人授かり、仕事と子育てに追われるなか、
34歳の時に経済的危機に見舞われました。
娘たちはまだ幼く1歳と3歳
このままではいけないと奮起!

ピアノ教室を頑張ろうと決めました。

〈鬱発症〉
35歳、娘が幼稚園に入学してしばらくして、体の変調を覚えました。
めまいに襲われ、その後鬱と診断され、レッスンは休まざるをおえませんでした。

清水先生しかいない
そのどん底から立ち直らせてくれたきっかけを作ってくれたのが・・・
2年生の男子生徒さんがお母さんとお見舞いにきてくれたのです。
私はでれずに母が対応、声のみ聞こえました。

『僕には清水先生しか、先生は考えなれないから・・・早くよくなってください』

負けない!
その言葉が嬉しく嬉しく、ここで負けてはダメだ、
早く元気になろう!と誓いました。

効かなかった薬がだんだん聴き始め、徐々に回復していきました。

〈近所で評判に〉
その子のお母さんが通う歯科で私のことを話題にして下さったら、その歯科になんと昔の生徒さんが務めていて、私のことを覚えていてくれていました。
『優しくて面倒見のいい先生だったよね。』と言ってくれたそうです。

また高校時代の音楽の先生から生徒を預かることになり
『あなただったら大丈夫』と言われたことも嬉しく
そうした周りからのメッセージがどんどん私を元気にしてくれました。
37歳の時には完治出来ました。

〈娘が原因不明の病気に〉
ですが、39歳の時に今度は長女が原因不明の病気にかかり、朝が起きれなくなりました。
2年生の時に、しんどいと学校を休みがちになり、そのうち学校にいけなくなりました。

2年後まさかの下の子も同じような症状で起き上がれなく、姉妹2人とも学校に行けなくなりました。

〈起立性調節障害〉
まだ聴きなれないこの病名にであったのは、娘たちの病気を色々調べている中でした。
命に別状はないが、普通は思春期に発病するケースが多く、朝が一番ダメで、夕方から夜には元気になるという、不思議な病気。

〈いじめ〉
下の子が4年生の時に病気の影響もあってか、いじめにあいました。

娘はすっかり人間不信に。。。
いっときは家族全員でこもるように・・・

お母さんこそ自分の人生を
これではいけないと、起立性調節障害のお母さんたちが集まる交流会に参加するようになりました。
カウンセラーの方が
『子供が病気なのは大変だけれど、お母さんの人生はお母さんのもの。
お母さんがしっかり自分の人生を歩むことも大事。』
この言葉に感動し、私自身も心の事や自分のあり方などを勉強するようになりました。

〈スキルアップ〉
・アドラー心理学をベースとした子供の勇気付け講座
・時間管理術
・自分軸を持つ講座
心の持ち方を学び始める
2018年、カウンセラー養成講座初級終了
現在、カウンセラーエキスパート講座受講中。

取得資格

●●●●●●教員資格、●●●●●●資格、望月メソッド認定講師、

望月メソッドの取り組み

初めて望月先生にお会いして、まずすぐに先生のお人柄の素晴らしさを感じました。
先生をはじめ、皆さまが迎えて下さるところからもうすでに愛と光に溢れている状態でした。

お教室に来て、そうやって暖かく迎えてもらえるというのは生徒さんにとって、きっとすごく嬉しい事だろうなぁ、と感じました。

先生はお言葉の通り、最初から全てを見せて、話して下さり、何一つ聞き逃す事ができないくらい、全てがお勉強になりました。

何事もポジティブに表現なさるところは、レッスンの中でいつも気をつけていきたいな、と思いました。
全てを教えるのではなく、生徒さんに考えさせる、気がつかせる、やらせる、という方法。
私は教えすぎていたな、もっと気がつかせる様にしようと思いました。

実際、帰ってからレッスンに取り入れると、生徒さんたちは皆、しっかりと考えて、そしてその為により一層集中してレッスンを受けてくれる様になりました。

何より脱力を一緒にやって音が変わった瞬間の生徒さんの顔!
思わず2人で顔を見合わせましたが、その時の驚きと喜びに満ちた顔は忘れる事が出来ません。

そして常に拍子を感じながらレッスンする方法。
レッスン自体のテンポ感も出て、間延びせず、集中力がより増したと思います。

私自身も音の変化を感じ、演奏が楽しくなりました。
それを生徒さんに伝える事で、曲の仕上がりも良くなり、生徒さん自身も演奏を楽しんでくれています。

学ばせて頂いた事をどんどん取り入れて、私の教室も光溢れる場所にしたいと思います。

教室の様子

講師画像
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